■考察2:なべさん■

70年代東京、特に新宿は騒然としていた。「ムラ」出身の全共闘、団塊の世代が丸ごと蝟集していた。まるで掃き溜めの人間の坩堝と化していた。

そこで新宿ゴールデン街。

都電のレール。角のタバコ屋。通り抜けられます。花園旅館の灯。花園ノ湯。銭湯帰りのお姐さん。オカマの化粧姿。ちょっと小便の匂い。キャッチかけ声……。

こう書いてくると、いかにも滝田ゆう描くところのマンガ「玉の井隈」に描かれている風景を想わせるが、これは、いまから三十数年前の新宿ゴールデン街の夕暮れである。

文字に書けばなにやら懐かしいようだが、実態は「青線」、ヤクザの麻薬の売買地帯、妊婦の腹を蹴りあげるヤクザの女房、唐行さんからジャパ行きさんの「娘うります」という売春地帯であったのである。

ところがどういう訳か、この街にもっとも相応しくない「文化」という魔物を全共闘崩れが持ち込んできて、街をほぼぼ占拠してしまったのである。むしろ「街」の首ねっこを押さえてしまったと言った方が解りやすいかもしれない。映画、演劇、漫画、写 真、文学、美術、テレビ、出版ジャーナリズムその他もろもろ。

そこで「文化」の話の一つ。詩と短歌とナベさんについて。

そんなゴールデン街が沸き返っていた当時、現代詩の世界からは清水昶が詩集『少年』を、現代短歌の世界からは福島泰樹が歌集『バリケード・一九六六年二月』を引っさげて相次いビュー、「反俗」「反秩序」を旗印に、1970年代から駆出し、1980年代の半ばまで若手のトップランナーとして走り続けてきた。

機縁というものは面白い。30年前のある日のこと。『週間読書人』を辞めて暫らくしたころ。

新宿紀井国屋書店で立ち読みをしている清水昶氏にバッタリ出会い、久しぶりの挨拶を交わした。「いまどうしてる?」というので、「ゴールデン街でナベサンという酒場をやっている」というと「じゃちかじか寄るよ」とのこと。?暇ならきてよね」と言って別れた。ただそれだけ。久しぶりにしては何とも素っ気ない会話で別れたも のであった。

それから数日後、彼は二人連れで階段を上ってきたものである。連れは歌人の福島泰樹氏であった。

その時期の彼らの才能と勢いは、多くの追随を許さず、亜流は近寄ればやけどした。

彼らの詩と歌は、世の中、特に若い世代に圧倒的に支持され歓迎されたのである。だが80年代後半になると清水氏は詩壇から離れ、福島氏は歌壇から総スカンクを食らい現在に至っている。

思うに、現代詩も現代短歌も、時代の流行が推移すると共に、彼らと時代の間にズレが生ずるに至ったのであり、時代のリングから降ろされるのは止むを得ないことであった。

金融と不動産が跋扈し、談論の風発することのない軽佻浮薄なバブル期。詩壇からも歌壇からも彼らは外に押し退けられるような形になった。

しかし彼らは,詩壇、歌壇が己れを重んじようが、疎もうが、更に意を介してはいない。むしろ意気軒高である。

一時死んでいた清水昶は、俳人清水甲斐として復活した。インターネットの到来である。これまでの表現媒体が発行部数月3,000部という雑誌中心の媒体であったのにたいして、清水昶の掲示板はなんと年間20,000件、1ヶ月約1,600件のアクセスである。http://bbs1.otd.co.jp/22518/bbs_plain

インターネットという新たな表現媒体の世界が顕らかに到来し、それを得て清水の表現意欲は以前にまして貪欲となった。

歌壇のリングから降りた福島は、何を思ったか本物のリングに上がった。ボクシングをはじめたのである……。

彼らが初めて、店の階段を上ってきてから、以来、波瀾万丈の三十年。今や彼らも還暦をすぎた。それでも月に二回程は顔を出してくれる。有り難いことです。

■新宿ゴールデン街《ナベさん》渡邊英綱■
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